「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

【続・絶望シリーズ】人生を変えるチャンスはどこにあるのか。お客様ご感想とわたしの人生の分岐点。

※2016/6/1の記事を再更新です

先日のトークライブ参加者様が、
昨日の絶望シリーズとともに感想を送ってくれました。 

以下がいただいたご感想です。

夜分恐れ入ります。

プチトークライブに参加させて頂いたAです。
先日はどうもありがとうございました。
当日は、ドキドキと緊張で全身カラカラでしたが、音楽(初回無音は地獄)、プチギフト、可愛いらしいカード、お隣の方と談笑、メインライブとあっという間の時間でした。

真穂さんとマサエさんのトーク、絶妙でした。真穂さんの引き出しがあり、マサエさんのリアルが伝わり、赤裸々トークがあってこそ、皆さんも話しやすかったのではと思います。マサエさんにも直接お礼を言いたかったです。

また、参加された皆さんは、明確な疑問や悩みをお持ちで、本気で変わりたい人達の熱や真剣さを感じ、岩盤浴にいるんじゃないかと思うくらい暑かったです。

そんな中、カードに書けずにいた私に真穂さんが気持ちを聞いて下さって嬉しかったです。
私自身も時間を忘れて(限られた時間なのに申し訳ない…)きちんと話すことが出来たのか…手探りの中、残酷な言葉も出ましたが、自分と向き合うことが出来た瞬間でもありました。

会場を出た後、激しい眠気と空腹に襲われ、心のデトックスが出来たのかなと感じ、ぐっすり眠ることが出来ました。(その前に、どうしても酸辣湯が食べたくて土曜の夜に一人高島屋中華)

ライブ参加後、気付いたことがありました。
私は、まだまだ何もわかっていなかったこと。
ひよっこだと思ってましたが、卵であったこと。
どん底や絶望、深い闇に突き落とされてもなお、根本は変化も進化も遂げないゾンビだったんだなと。
目の前にある問題に、体当たりしては乗り越えて来ただけで、何も変わってなかったのだと思ったら泣けてきました。自分から逃げてたんですね。気付くと、誕生日を迎えていました。

トークライブに参加したことで、自身の問題に気付き、向き合うことが出来ただけでも非常に大きな収穫で、真穂さん、マサエさんに感謝しております。

そして、本日のblog、絶望シリーズ。
心臓がえぐり取られるような衝撃を受けました。本当に…自分のことを言われているような気がして、息の根が止まりました。
トークライブからの気付きがなかったら、ここまで衝撃を受けることもなかったかもしれません。

昨日から血圧が低く瀕死状態でしたが、真穂さんに伝えたくて、自分の誕生日に刻み込みたくてメールさせて頂きました。

こじらせ過ぎた女がただのオンナに変わるのに、まだ自分と向き合うべき作業が必要だと思います。

絶望シリーズ、運命感じました。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

素敵なメールありがとうございました。
そしてお誕生日おめでとうございます。

わたしはとても良い誕生日だったのではないかと感じます。

だって、生まれ変わるのでしょう?生まれ直すのでしょう?

新しい自分に。新しい人生に。

 

この方とのトークライブでの会話を思い出しながら
いただいたメールを拝読して、ふと、
数年前のことを思い出しました。
わたしの人生を大きく変えてくれた「最初の絶望」のときのことです。


震災のあった2011年の9月頃のことです。

わたしはその頃、まだ女性の起業支援セミナーを行う企業で働いていて、
震災直後に、当時大好きだった彼氏にフラレてしまい未練タラタラ。

家族や姉との関係も、表面上上手くいっているように見えて
心の中はいろんな想いが渦巻いていて、
苦しいので独学で心理学など学び出し、
中途半端にそんなことをつまんで心に蓋をするものだから
蓋を剥いだら心がボロボロなことに気づかないほど
自分が自分に鈍感になってました。

苦しさを感じたくないから、
感じないように見ないように気づかないようにしてとにかく仕事に没頭。

血尿が出たり、肌がボロボロになったり、
時々気持ちがドーンと沈んだり得も言われぬ不安が湧いたりしていたのに、

「仕事に支障が出て困る(人前に立つ仕事なので)」

くらいに思っている麻痺っぷりでした。


今思えば痛すぎます。
アホか!!!
どんだけ鈍ってるのか、すでに(心が)死んでるのか気付け!!!と。


そうして仕事に逃げ続けていたとき、
いよいよどうにも全てが上手くいかない、
何か、急速に八方塞がりになってどんどん追いつめられていった時期があったんです。


そのピークが9月、その月は仕事の関係で被災地に出張に行ってました。


1泊2日のはずが同行したインターンの子が発熱し、
帰りの新幹線内で意識が飛んで痙攣し出してしまい、
あわてて仙台で下車。救急搬送されて緊急入院。

わたしも仙台に泊まることになったのですが、
この時期の仙台のホテルはほぼ満室なんです。
(建設業の方々、被災地支援のボランティアの人々でいっぱい)


わたしまだ当時、20代前半ですよ?

真夜中、日付が変わってもホテルを探して1人さまよい続けて、
それでも都内にいる上司(電話で連絡をとりあう)は
「安いところじゃないと」とか言う。
自分を大切にしてないと、こういう扱いを受ける現実しか訪れない良い例です。

後から思えばそんな時間に一人でホテルを探してウロウロ、
自殺でもされると思ったのかもしれませんね。


ようやく泊まれるところが見つかって、
熱なので翌日には帰れると思ったはずが、
なぜかいっこうにその子の熱が下がらない。

看護師さんたちから、
しっかり者で定評のあったその子に対して
「言動や行動が大学生のものとは思えず幼稚化してる気がする。
何か精神的なものでは?」
と相談されました。わたしに相談されても。。。。

 

まだ大学生なので親御さんに知らせるも、迎えにこない。


後からわかったのは
その子のお姉さんが精神病で病院を行ったり来たりしているために、
親はそちらに気を取られて妹さんはほったらかし。
こんな状況になっても、
「お前まで迷惑をかけるな!!自分で帰ってこい!!!」と。


ずっと良い子を演じてきて、
親に大切にされないならせめて社会の役に立ちたいと
今回の出張前も3ヶ月も石巻の支援に没頭していたその子。
(皆の前ではとても明るい子でした)

その疲れと、こんな時にも親に自分よりお姉さん、と言われて、
精神的なダメージが相当大きかったようで、
結局一週間、仙台にわたしも残ることになりました。

その間、その子の気持ちのケアをしながら過去の自分と重ねて嫌な記憶が蘇ったり、
自分の仕事を進めること、
その子の親へのフォロー(会社の責任だ!慰謝料を!って感じだったので)
会社への連絡で

もうわたしもくたくたになっていて、
東京に帰った時は精魂尽き果てたと思ってました。

 

結局は、昨日散々書いたように、
こんな現実さえも自分が望んだ夢が叶ってるだけなんですけどね。

学生の彼女の厳しい状況さえも、本人が叶えた夢。

「被害者」はいない。

でも当時はそんなことが全然わかってなかったので、
自分の意志とは関係なく次々起きる(と当時は思ってた)
難題に、体当たりして乗り越えていくばっかりで
根本は何も解決してないことに気付きませんでした。


むしろそういうことを乗り越えていくこと、
折り合いをつけていくのが人生だと、
それを続けていくのは苦しいけれど、
続けていればきっと
いつかはきっと報われる、幸せになれるだろうと、
だってこんなにがんばって生きているんだからと、
どこかで期待してました。無意識でもきっと、ものすごく。
それが唯一の希望の光くらいに思ってただろうなあ。。。

 

そんな時に、仙台から帰宅した翌日に、
運命の出逢いが待っていました。

 

また長くなったので、次の記事に続きます。

 ※次の記事はこちら↓

santasantasan.hatenablog.com