「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

みんなが幸せになる、人生での「断捨離」。〜自分を生きる17〜18日目。

今日はふと、「断捨離」をウィキペディアで調べてみまして、すると以下のように書かれていました。

日本では伝統的に「もったいない」という観念・考え方があるが(これはこれでひとつの考え方・価値観ではあるが)、この考え方が行き過ぎると物を捨てることができなくなり…(中略)…やがては自分が快適に居るための空間までが圧迫され、狭くなり、また人は膨大なモノを扱うのに日々 膨大な時間や気力を奪われるようになってしまい、知らず知らずのうちに大きな重荷となっていて心身の健康を害するほどになってしまう。

断捨離は、こうした「もったいない」の観念(固定観念思い込み)にとりつかれて凝り固まってしまった心を、ヨーガの行法を応用して解きほぐし、知らずに自分自身で作り出してしまっている重荷からの解放を図り、快適な生活・人生をとりもどすための方法である。

 
そんなわけで(どんなわけ?)、今日は人生における「断捨離」について書いてみたいと思います^^

・「捨てる・手放す」「断捨離」を人生版で解釈したとき。 

赤字のところ、

・家という空間=人生

(もったいないが行き過ぎて捨てられなくなった)モノ(愛がベースじゃない)人間関係や、(条件が良いという理由で自分に嘘をついて続けている)仕事、(自分は好きではないけれど社会的に価値があるから持って(取って)おこうという)資格など

に当てはめると、わたくしサンタサンタにはとてもわかりやすいです。

(いつものことながら、上記の状態の人がいけない、ダメ、という話ではありません!)

そして、

もったいない=(好きじゃないけど)得かもしれないから、有利かもしれないから、いつか役に立つかもしれないから…(この人間関係、仕事、資格…)

ついでに、「好きじゃない」というのは好き嫌いというよりは、

「愛がベースに自然と保てるそれら(人間関係、仕事、資格)か?」

というのがわたしにとっては断捨離するしないの大切な基準になっています。

 

・人間関係においての断捨離の注意点とサンタサンタの経験。

ただし人間関係においては、今の関係が仮に「愛をベースに自然と保てない関係」なのであればそれは、「離れる」はOKなのですが「捨てる(断つ)」というよりも、

「その関係性をこちらから崩す」

ということが大切だと思います。(捨てるってあんた何様やねん、と思うから。)

たとえば、

・賃金を与えるものと与えられるもの

・教えを請うもの、教えるもの

といういわゆる上下関係の関係性だと上手くいかない(愛を自然とベースに保てない=このヤロー、てめえ、みたいに内心思えてきちゃう=被害者意識を持ってしまう)関係であれば、自分がその土俵を降りて、新たな人間関係をその人と築くということです。

わたしで言えば、現時点では、

・社長(※以前の記事に登場)には、「この仕事引き受けてもらえる?」と言われるまでは、「何かお手伝いできることありますか?(仕事ください)」とは自分からは絶対に言わない。


それはわたしにとって、社長へ積極的に教えを請う時期はある程度過ぎたと捉えていることと、ある一定の境界線(それは社長との関係の経験則でしかないですが)を越えて賃金をもらう立場になると、社長がわたしに求めるものが「社員のそれ以上(この子はできるだろうという期待を持ってくださっているからこそなのですが)」になるので、その線を越えると「期待に応えなきゃ」なわたしが発動することを知っているためであり。
でも社長という人への愛と感謝は変わらない(=関係性だけの問題)なので、自分がそれを自然に保てる関係性へ移行する(=自分が勝手にやりにくいと感じる関係性を自ら崩す)ということで問題と思っていたことは解決されますし、何より好きであった人に嫌われない、嫌いにならないで済むのでとってもナイスと個人的には思っています^^v(ただし相手や現実のせい、という愛をベースに無くした被害者意識のもとではここが取り組めない以前に見えないので、自立的な自分であることが必要ではあります!)

※人間関係については、以前のこの記事も何か参考になるかもです^^

santasantasan.hatenablog.com

 

・仕事や資格においての断捨離について。

繰り返しになってしまうのですが、仕事や資格を「有利だから続ける」とか、「得だから取る」ということが悪いわけでは絶対にないです。

ただもし、

「本当はこんな自分(こんな人生)は嫌だ→だけど有利だから、捨てるのが勿体無いから、未来が不安で持っていない(取らないと)と怖いから

という想いがベースであれば、それを続けるのはオススメしないというか、ご本人がツライのじゃないかな?まさに上述の引用の通り「(快適な生活(人生)を送るためにと思って手に入れたものが)知らず知らずのうちに大きな重荷となって」しまうのではないかな?と思っています。

そして安定している、これを持っておけば何かが手に入る(=幸せになれる)と思っていても、結構、

「人生、そうは問屋が卸さないゼ!!」

みたいなことばっかりだと思うんですよね。

リー◯ンショックとかでまさかという企業がどんどこ潰れたり、マ◯ドナ◯ド(←なんかドナドナみたい…)がどんどん閉店してたり、うちの父は昨年まで公務員だったですが、バブル時代は「公務員になるなんてバカみたい!(給料低いし、損じゃん!)」みたいな反応ばっかりだったらしいです。でも、40年近くたったらそれは会社員のそれと真逆になっていて。でもそれだって

「給料は結果でしかなくって、勝ち負けじゃなくて、大切なのは好きなことをやれたかどうかよ(byサンタサンタ母)」

と、本当にその通りだと思います。

大きな企業の話だけではなく、起業支援の仕事をしていたときも、上手く(というのはつまりお金が回って継続できるという意味だけではなくて本人が楽しんでやれているという意味で)進んでいける方は資格のあるなしに関係ないですし、逆にきっちりとした資格を取っても「お客さんが全然来ない」と悩んで廃業される方もたくさんいました。地球だって、信じられない破壊と再生の連続があってこそ今の進化になっているわけです。「これなら大丈夫」がそもそも宇宙のシステム上、組み込まれてないのです。

だからやっぱり、人間の計算なんてほとんど思い通りにいかないもんで、その上で「自分がどうしたいか??」を大事にした上で、捨てていくもの離れていくものと選んでいくと後悔のない人生になるのではないかな??と思います^^

「出したら入ってくる」はお金においてもご縁においても今や定説のように聞きますが、わたし自身も大体何のアテもなく仕事は辞めてきてることばかりですが、必ず誰か(知らなかった人・偶然の出逢いも含め)が新しい縁を運んできてくれてどうにかなってるので、まあどうにかなるのだろうなあ、ならなくてもならない経験をする必要があるときなのかなあ(できればそれは嫌だけど…)くらいに捉えているところがあります。

これは「どう動くか??」というマニュアルよりも実際に動いて自分で体感してみないとわからないことが大きいような気がしています。

わたしも最近では、カウンセリングという「好きと思っていたこと(固定概念があったこと)×周りにも評価されていたこと」を一度バッサリ捨ててみて、更地にした上で気付いたことや動いた現実があり、それはやっぱり一度動いてみないとわからなかったことであり。

なのでここで書けることは今の時点であまり無いのですが、無理なくできる範囲でそういうものを捨てて、手放してみて実験していかれると良いのかなと思います^^そしてそれはやっぱり、それ自体が目的ではなくて、自分が、周りが、みんなで幸せになる人生を豊かに生きるための手段なのです^^

…今日もまた、こんなことを書くつもりはなかったのですがギリギリにそれなりな記事ができたきがして嬉しいです!湧いたものを書くというのは面白いです。ブログの楽しみ方が少し変わってきたきがしました^^お目通しくださった方、本当に有難うございます!

それでは皆さん、今日も素晴らしい一日をお過ごしください!感謝を込めて^^