「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

委ねるか、我でいくか。わたしがわたしにおいて大事にしたい生き方。やんもの木の下で。

伊豆高原で一番、ハートをノックアウトされたものです。

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やまももの木、通称「長寿の夫婦・やんもの木」というらしいです。

伊豆高原駅の中にあります。

なんかもう、近寄って突っ立ってるだけで、空っぽになれる感じの木でした。頭の中のごちゃごちゃが、スーッと抜けるんだけど、でも自分の中に全部在るんだ、みたいな、そういう感覚を湧き上がらせてくれる木でした。そうそうそうなんです、わたし、この感覚で生きていきたいんです、って再確認させてもらいました。あ〜、連れて帰りたかった。(無理です。)


・過去の記憶の奥の世界

わたし以前の記事で、人間は過去の記憶集合体として生きているということを書かせていただきました。
これです↓(この、ちょっとマニアックなあんまりおもしろくない記事。)

santasantasan.hatenablog.com

それで更にマニアックなのですが、

悩んだり喜んだりも全部この潜在意識の中の過去の記憶が反応してるからとしたら、
じゃあその何兆もの全部の過去の記憶を取っ払った先が在るわけで。

言葉では、宇宙意識とか神意識とか真我とかいろいろ言われるものですが、なんか飛んでるというかモゾモゾする言葉ですよね。そんな言葉でなくても、

「なんかわたしたちががんばらないでも勝手にすごい完璧に稼働してる、でもわたしたちが生きるのに超関わってる流れや動きやシステム」

と捉えていただくと良いかと思います。

ごく身近にある、たとえば宇宙が膨張し続けてる(らしい)とか、地球が信じられない速さで自転してるとか公転してるとか、身体の中で血液がすごい勢いで流れてるとか、月経が来るとか、子ども生まれると母乳が出るとか水が川から海に流れてまたかたちを変えて循環してるとかとか。

誰も作ってないけれど勝手に生まれていて勝手にそこに在るもの、誰もがんばってないけれどしかし勝手にものすごい高性能に機能してくれてるもの(よく考えたらそのお蔭でわたしら生きていけてるよね、ないと生きてけないよねっていうもの)って、身体の中にも外にもいろいろあるかと思います。それらのことです。

そして私たちを悩ます過去の記憶のしがらみを突き抜けた先にそれが在って、それを体感できる感覚として表す言葉に、いわゆる人間智を越えた深い愛とか感謝とか悟りとかって言われるものがあると言われています。


・小難しいようで当たり前のような素晴らしいもの。

そうして過去の記憶に翻弄されずにその意識で生きることができると物事の捉え方が代わり、そうしてそれは上述の完璧な流れに無意識に乗っかる(沿う)ことができるのでいわゆる人生の豊かさも無限に受け取れるということで。

経営者の方々などは最初は努力と根性と能力とで成り上がったとしても、最終的にここを目指したりするらしいですね。稲盛和夫さんも「生き方」という著書のあとがきで書かれたり、女性だと「花子とアン」の村岡花子さんも、お子さんを亡くされたことをキッカケにそこに目覚めたと著書で書かれてたりしているらしいです。

別に悟ったり修行したりしなくても能力があってもなくても、もともとの私たちの存在が「そこ」からなので、その小難しい前説明を知らなくたって人生の何かの経験を経てその感覚を体感している方はたくさんいらっしゃると思います。同時にその時に、自分の思いもよらない展開で現実が動いた体験(人はそれを奇跡というらしい)をしていることと思います。


・ただのオンナ的、この領域の有効活用

それでわたしは単純なので、勝手に完璧に稼働してる流れがあるので、そもそもそれの中に生きてるわたしたちなので、意識もその流れに意識的に沿わせて生きる方がいろいろ無駄がないし間違いがないし楽チンじゃん、っていう考えなのです。

人生っていう流れの川を自分っていうボート漕いで生きてるなら、流れが見えないでめくらめっぽう漕ぎまくるより、流れに沿って漕いだほうがラクだし間違いなく進めるじゃん、っていう単純な考えなのです(わたしは)。

で、やんもの木の下で感じた感覚はまさにそれでした。

悟りって言葉はあまりにも別世界っぽくてモゾモゾして好きでないので、空っぽの感覚って勝手に呼んでいます。

せっかく生まれてきたのだから、この身体の一生で起きるあれやこれや過去の記憶から出る不安も喜びも拒絶したりフタしたりせずに体感し尽くして生きたくて。

だから、やんもの木の下も幸せで、可愛いカフェでお茶するのも、ホテルの豪華な食事を食べるのも、メイクばっちり決めてプラダのバック持って旅行するのも同じようにわたしは幸せで。
ガチで悩むしガチで喜んで一喜一憂をして、そういうの全部味わい尽くしてこそ人生なのです(私的考えです)。

ただその時に、最終的にはいろいろ私たちを悩ますアレもソレも何も無いのだよなって体感がどこかに残っていたら、俯瞰して見れることがたくさんあるのでラクなのです。苦しみも味わいの一つなんだって肚に落ちているから、同じ悩むでも味わいたくてやっている自覚を持てるから、基盤がちゃんとある安心感が違う気がするのです。


・引き寄せではムリなこと。

お金も欲しいしもっとキレイになりたいし、イイ男に巡り会いたいとか、いろいろな欲はあってそれは全然良いのですが、たとえばそれらを努力して得ようとか引き寄せようとかしたってそれが自分の命の役割じゃなかったら、それは残念ながらムリなもんはムリなんですよね。それは、そういう想念の世界のその元を作ってるものがあって、そこが一つ一つに命の役割をちゃんと残してるからなのです。そこから大幅にズレていたら、いくら願ったって見当違いで、叶わない、引き寄せられないって苦しくなるかもです。(努力で一見かなっても、維持するのはかなり大変です。)

だからわたしは断然、その大本の世界にお任せして、どこに行くのかわからない怖さも抱えつつ、けどそこに完全に屈服していたいんです。

人には絶対に屈服しない(できない)サンタサンタですが、宇宙氏には喜んで屈服します。だってわたし以上に、わたしの命の活かし方を知ってるので。その中で許される範囲で、自分の欲も遠慮無く満たしていきたいと思うわけです。

欲はいけないとか、無欲でいましょうとか言う話では全くないんです。むしろ大欲でないとそれが出来ない。大欲は無欲に似たりとも言いますもんね。大欲というのは、自分の命の価値を知っている人でないとなれないと思うんです。全員に何兆円以上もの価値が間違いなくあるのですが、それを他人や社会の評価ではなく持つということだと思うんです。

そういうことを、そうだよなと思いつつも、どこかでゆらゆらしていた気持ちに、「それでOKやで!!」というOKサインもらえたような、肚にグッと抑えこまれたような今回の旅でした。自分で書いててちっともわかりやすくないと思うんですが、ちゃんと記録に残したく、記事に書かせていただきました。 もし目を通してくださった方がいたら、ほんとに有り難い限りです。

それでは今日もお読みいただき感謝を込めて!ステキな週末をお過ごしくださーい!!