「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

ただのオンナでどこまでおもしろおかしく生きれちゃうか。人生かけた大実験。

今日はふと思い立ち(いつもそうですが)、いろいろなことを熱く書かせていただいているこのブログは一体なんなのか?自分の近況も含めてそのことを書きたいなと思います。よろしければどうぞお付き合いください^^


・ただのオンナでどこまでおもしろおかしく生きれちゃうか。人生かけた大実験。

もともとの想いはこの一点なのです。

このブログは、わたし=サンタサンタというただのオンナが、ただのオンナのままでどこまでおもしろおかしく人生を謳歌できるか?その人生かけたトライ&大実験の礎と思っています(わたし的に)。

もうちょっと真面目に書くと、何者かになろうとせずにただ「わたしで在る」というだけを貫いた結果に、その思い切り我がままな生き方でも、果たして生き延びることができるか?しかもその「生き延びる」はなんとかかんとか生き延びるというレベルの「生きる」ではなくて、「わーい!!」な感じの色濃い人生を生きるのに集中してたら、同時に他人様や社会の役にも立っちゃってたよ!というステキな人生を生きるという目標です。

そうしてそれを、無謀な挑戦と思ってやっているんじゃなくて、ううん、原理原則に沿っているのならできそうだからやってみよう!そんなことを本気で大前提に持って過ごしている次第です。


・このブログで書かせていただいていること

それで、ここによく書かせていただいている「自分を大切に」とか、「波乗りジャーニー的生き方」とかはじゃあどういう位置づけ?というものです。

それは、外から学んできた原理原則(カッコよく言うと宇宙の真理みたいなもの。この世を楽しく生きるために知ると良いと捉えてる必須項目みたいなもの)を前提として生きてみた時に、わたしやお客さまの現実にちゃんと変化が出たものを「大切なこと」と判断して好き勝手発信しています。

ちなみにお客様とは、わたしの昨年までの本業のコンサル&カウンセリングのお客様のことです。
一昨年、何も考えず会社員を辞めてそこからの人生が白紙だったわたしが、好きな真理のことを通じて人の人生をサポートする仕事、しかも自由に好きに働ける、という大変有難い環境に導かれることができました。そして、このブログを始める少し前までのわたしのベクトルは、旦那さんとの結婚と、そんな目の前のお客様の人生をより良くすることに向いていたように思います。
固定のお給与をいただかないで、自分の裁量でそこに関わる。
そうしてそこで人のお役に立つことで、自分が生きる。
そのように捉えていて、それはまさに上記のわたしの目標に一致しているように見えると思います。
でも、厳密にはそれが違うと気付いたのが年末、なのでベクトル100を自分に向けることにし、会社の立場も有り難く徐々に手放していこうと思ってそのようにシフトしつつあるのが今現在です。

 

・”わたし”たちひとりひとりの本業は、世の中にある「仕事」ではない(という解釈)。

わたしがずーっと地味にやっていることは、「常識がそうだからではなくて、仕方ないからではなくて、”わたしの本音はどうなのかということを常に自分に問い続ける”」ということ、「”自分が魂の、底の底から喜べること”を無心に貪欲に求め続ける」ということです。

その「魂の、底の底から喜べること」はどこかにゴールとしてあるのではなくて、それをし続けるのが生まれてきた意味。
そこに走り続けた結果、この人生が終わるときには、わたしに繋いでもらったバトンを命(=子孫ってことです)と魂か、もしくは魂(生き方、在り方)だけかもしれないけど、誰か一人にでも繋げられたら、一番嬉しいなって思っているのです。

ちょっと変わってるかもしれないけど、そのようにわたしは自分の人生を(今のところ)意味付けしました。

というか、自分の本音はどうなのよ??というところのフタを剥いで見続けてみたら、そういう自分がお目見えしたという感じなのでした。
ある意味、恐ろしいですよね。サンタサンタの本音は、貪欲に求め続けたいらしい。まさに欲のカタマリ。世間的に誰も褒めて認めてくれなそう。よろしくなさそう。

でも。学んできた真理の真理をぜーんぶひっくるめて総合解釈してみると、それはどうもイエローカードではなさそう。どころか、真逆に見える「素晴らしい生き方」に繋がるみたい(というわたし的解釈。)。

たぶんそれを言ってしまったら、解釈が間違われてとんでもない悪の人生を歩む人が出てくる可能性を危惧して、何かの分野で成功しているひと、その結果、真理がわかるようになった人たちも、はっきりとは言ってこなかったのじゃないかと思うのです。
そうしてそれは、人間への信頼度の問題。そしてわたしは、少なくともわたし自身を信頼しています。

なのでそれが現実にできるだろう!と仮定して進むことにしたのです。

そのようにしていたらきっと、もしこれがトンデモ勘違いなら、ストップせざるを得ない状況がちゃんとやってきて、「そっちじゃないよ」って教えてくれるはずという仮定を持ちました。なのでそのときは素直に軌道修正して、根本がダメなようなら素直にこの生き方自体ストップしよう、という。

でもチャレンジし続けられるうちは、チャレンジしてOKという解釈。
それさえも、おっきな宇宙の中では許されている(という解釈)。そうしていたら、何かしらピンチの時はなんかが動いて助けてくれるだろう、とも思うのです。

振り返るとなんだかんだで、そうしてピンチの時はいつも助けの手が差し伸べられて生きてこれたので、そのように捉えて毎日を過ごしています。

 

・「今ある仕事」「できること」の思い込みで自分を限定させない。最初から全ての枠を捨ててそこから生きてみる。

それで例の昨年までのお仕事の話でいうと、なんというか、アウトローなわたしにも、いよいよ自分を活かせる場所ができたと、自分の居場所がしっかりと定まったと、思ってしまったのですね。それなりに稼げるようになってきたし、評価されるし、会社自体の伸び率もとても大きいですし、なんだか、「ここに居さえすれば大丈夫」と思ってしまったんです。

でも続けていくうちに、「できる」ことではあるけれど、わたしには「ここ」というのはないんじゃないのと思うようになりました。カッコいい意味ではなく、人参みたいにどんな食材とも調和できる素晴らしさがある人間じゃなくて、たとえるならドリアンみたいなんだということ。人参になろうとしても美味しくなれないんだから、それならそれを早く認めて、ドリアンとして生きた方がいい、と悟ったのでした。(何でしょうかこのたとえは。)

それに気付けたのはその会社のお蔭です。ドリアンなわたしを受け入れて育ててくれたことに感謝しつつ、今年から出勤日数などをほぼ無くして、さあこの後どうしよう?って振り出しに戻った感で今現在です。(だからこんな長いブログも書けてるんですね^^;)

でもこれは前に書いた螺旋階段なので、戻ったようで同じ位置にはいないんですよね。たぶんわたし、この一年でめちゃめちゃ昇った。その実感を持てたことが、自分においての財産だと思っています。

しかし何か自分で独立してやろうなどとは考えておらず、まさに今後の人生計画は現時点でまっしろであります。自分をどこまでも見つめつつ、次の波を注意深く観察している最中です。


・社会も親も何も悪くない。自分がこういう自分としてどう生きるか。しかもおもしろおかしく、を諦めずに。

自分としてはハラハラドキドキしているのですが、でもこの人生の目標で言ったらいよいよこれからもっと面白いことになるときなのかなと思っています。

ちなみに会社員がおかしいとか社会がおかしいのではなく明らかにわたしがおかしいので(悲観的な意味ではなくちょっと少数派ではないかなと自覚しているという意味です^^;)、だからといって、背中を丸めて生きる必要はなく。

いろいろな価値観と生き方があるから面白いので、もしサンタサンタという人間の中のどこかにご自身を重ねて何かちょっとの足しにしてくださる方がいれば、それはとても嬉しいです^^

あまり自分のことを書くことは(これでも)控えていましたが、昨日ちょっとした気付きがあり、一度まとめたくなりました。個人的な内容をここまでお読みいただき感謝を込めて^^
それでは皆さん、素晴らしい連休をお過ごしください♡

感謝!