「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きたい女性を応援中☆

【前編】自分を生き始めて最初にブチ当たる壁。「それでもあなたはそっちに進みたい?」

周りや社会に合わせて自分に嘘をついて生きてた人が「自分を生きよう」とし始めると、最初にブチ当たる壁がある、と聞きます。皆さんも何がしか聞いたことがあると思うのですが、「友達が離れていく」とか「嫌われる勇気」など。

私自身はどうなのか?というと、今まさにその時期がきている感じがしているんですよね。そしてその体験って、知識として聞いきたそれらよりずっと、感情がうごめきものすごいリアルだなっていう実感です。身内と自分の恥を晒すようで一瞬躊躇しつつまさにいまナマモノとしての体験を今日は書きたいなって思っています。

・自分を生き始めた時に起きやすい「人が離れる」「嫌われる」のよく聞く話。

このブログに今までから目を通してくださっている方には伝わる部分だと思うのですが、自分が自分に正直になって自分の本音に従って生きたいように生きようというのは私にとって、「とことん自分の欲求に従って生きる(自分の快を追求する)」ということとほぼイコールです。嫌なことはしない。周りや世間がどうか?ではなく、自分がどうか?で選択する。つまりとことん、周囲に合わせないで生きる(もちろん合わせないのを目的とするのではなくて、自分に従って選択したことが周りと調和するということもあり、それは一番の理想です)
そうするとよく起こると聞くのが例の「周りにいた人が離れる」「嫌われる」だと思うんです。

具体的には、今までは一緒に周りに合わせて生き抜いてきた仲間に「空気読めよ!(自分はいまだにガマンしてるのにっていう本音)」と嫌われてしまったり、今まで主体性の出せなかった自分を上手く活用してくれていた人に(要は都合よく使いやすいから使われてた、っていうものです。とても嫌な言葉だけれど。。。)「なんだコイツ、使えなくなったな!!」と呆れられたり、そういう「離れられる」「嫌われる」でしょうか。

・私自身の経験。大切な人に嫌われるかは、自分次第で避けられそうという実感。

ただ私自身は、それはほとんど経験しないで済みました。確かに、大好きな人から「みんなガマンしてるんだよ!!」って急に泣かれてしまったり(怒られたり)、ココロのセミナー会社のエージェントをしている時も、あまりのマイペースぶりに「さすがに、みんながサンタサンタくんみたいになったら困るからね」と呆れさせてしまい注意させてしまったということはありました。
でも自分の中で大切にしていたことがあって、それは「相手が私を嫌いになっても、私が相手を好きであり続けていれば良い」と本気で思っていることと、あとは自分が自分を生きることで、時間差はあっても、関わる人にも恩恵を残せると自分が信じていて、それをちゃんとかたちに表すことでした。(たとえば仕事だったら結果はちゃんと出すとか。ただし時間差はあるので、それまでの間は自分を信じるしかないですけど…)

後はオンナということをポジティブに活用していこう、と決めたことも大きかったです。つまり上手に頼ったり甘えたりするのを覚えていったのです。これは最初、自分でなんでも抱え込むタイプだった私にとっては(申し訳ないという)大きな罪悪感を脇に抱えながら苦痛を伴う作業でしたが^^;、試行錯誤しながら身に着けていきました。その中で、男性が女性に頼られることで今以上の力を発揮し輝くということも、経験則としてわかってきました。余談ですが!

そしてそうこうしていくうちに何が起きるかというと、本当に自分に対して損得で付き合っていた人は勝手に離れていく。そして大切な人たちは時間差はあれど誠意は伝わって、なんだかんだで許してくれるようになっていく実感が持てつつあるようになり、一挙両得なんだなという今時点での感想です(とにかく周りの人が、有難いですよね^^)

しかし本当に難しいと感じたのは、この先の2つのパターンでした。

・親やきょうだい。本当に大事な人が苦しんでいても、気にせず自分の幸せを追求できますか?

私自身の経験からでしかないですが、そもそも自分を生きれないという人は、自分以外の誰かの人生をも抱えて生きてきた経験がある人により強く出る傾向だと思っています。たとえば親とか、きょうだいとか。
たとえば自分が小さい時に、母親がお姑さん(自分のおばあちゃん)と上手く言っていなくていつも苦しそうな人生を生きていたら、自分だけ楽しそうに生きるのは悪い気がしていつも自分を出せないでいた、とか。
母親がオンナを楽しむことを否定して生きていたら、大人になって親と離れて暮らしていても、メイクやオシャレに億劫になってしまったり、とか。
これは過去の場合なのでまだ取り組みやすいと思うのですが、より難しいのはそれが「なう」なことですよね。私の場合は、母親が祖父の介護でずーっと大変な状況で、泣いて電話がかかってくることもよくあります。

そういう時に、電話を切ったからといって即、自分の幸せ追求に舵を切り替えることができるか?というと、小さい時から姉の病気のことで泣く母を支えなきゃと(勝手に)思い込んで生きてきた私にとっては、やっぱりとっても難しいことだったり…。私だけ一人楽しんで、母親になんだかとても申し訳ない気持ちがしてしまいます。
でも当の(今の)母はといえば、私には幸せになってほしい、と強く願ってくれているわけです。過去のことも母自身がわかってくれていて、だから電話も、私が気にしないか逆に心配をして、本当につらい時だけかけてきてくれる。私に依存しているわけではないのですね。
なので深いところでは、私も母も望んでいることが「私の幸せ」ということで一致してるんです。それでこれはきっと、どんなにひどいことを過去してしまった親御さんだって皆同じとわたしは信じています。

なので結論を書くと、目下チャレンジ中ですが、それでもわたしはわたしを生きる人生を選び続け、進み続けています!でも、そんなわたしが一番堪えたのが、この先の出来事でした。

…と、続きを書こうと思ったのですが長くなってしまったので次の記事に続きます。
(現時点での)ラスボスは、「お前のしたことのせいで自分は今もこんなに苦しんでいるのに!」と今、大事な人が自分に言ってくる時でした。そこまで思われても自分を生きるの?でもその一番大きく見える壁が、一番いろんな気付きをくれて、わたしはやっぱりそれにイエスで、そして今も進んでいます。

なんだか重く感じられたらすみません><
でももし、今まさに自分を生き始めて同じ壁にぶつかっている人、これからそこに向かってみたいなと思っている人がいたら、何か一つの参考程度にでもなればとても嬉しいです。

お読みいただき感謝を込めて!次の記事につづく!