「すみません、ただのオンナに戻ります」。

良い子を卒業して、「ただそのままの自分(ただのオンナな自分)」を大切に、がんばらずに生きる方法をお伝えしてます◎

一年間のしつこさが実って。。。!【嫌われるのは嫌だけど、伝えないで後悔するのはもっと嫌なんだ。】

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今日は満開のサクラを発見!春の訪れを感じるなあ〜❤

 

今朝?昨晩??に、

 

 

嬉しいことがありました^^

 

それは、人から聞いたら些細なことかもしれないんですけどね、

コミュニティのメンバーさんの中に、

かつて開催していた継続コースでご縁をいただいてから、

かれこれもう1年、おつきあいをいただいているお客さんがいてですね。

 

その方にね、わたし、

たぶん、継続コース時代から、

ずーーーーーっと、同じことを言っていまして。

 

それはサクッと言うなれば、

「自分の責任だよ!自分がそうさせているんだよ!自分を疑おう!!」みたいなこと。

 

シンプルに言ってしまえばこれだけのことなんですが、

これを、

手を変え品を変え、言い方を変え、たとえ方を変え、

 

そしてときには優しく、ときには厳しく、ときには論理的に、

ときには面白おかしく、そして時には泣き落としで(?!)

 

とにかく、もうありとあらゆる手段を尽くして、

 

「伝わりますように」と、

この一年間、

とにかく様々な角度から、

その方にとって大切なことが伝わるよう、

なんか、とにかくがんばってみたんですよね。

 

だけど、なかなかそれが、伝わらなくて。

 

ノートの書き方も伝えて、

自分のことを疑って、

自分の責任にちゃんと立ち戻るって、

つまりこういうことだよ!!って

 

いくら角度や言い回しを変えてみても、そのときは伝わるんだけれど、

 

いざ、ご自身でやってみてもらえると、

自分で自分にツッコミを入れられない=疑いどころがわからない(疑うということがわからない?)みたいで。

 

それで、たとえばいろいろなお客さんとご縁があるなかで、

「わからない」という風になるときというのは二種類あって、

ほとんどの人は

「わかりたくない」から「わからないことにしている」というやつで。

 

わかってしまうとつらいから、

無意識で思考で止めて、”自分の中に入れる”ということを避けて、

「わからない(からできないということにしておきたい)」としているパターン。

 

つまり、すごくシンプルに言えば、昨日も書いたとおり、

「逃げちゃう。誤魔化しちゃう」。

 

 

これはやっぱり、どんなに「わからないだけなんです、やる気はあるんです!」って言われても、

すごく、伝わるんです。

 なんとゆうか、どうしたって、バレちゃう。

そしてほとんどのお客さんはそんな言い訳してこないで、どこかいずれかのタイミングで
「真穂さんの言ってた意味わかりました、逃げてました。。。」って認めてくれるんですけれどね^^

 

だからそういうお客さんには、わたしは容赦しないし、

そもそも一年もかかってたら、

もう言わない!って諦めちゃってたと思う。

だって、相手にとってもタイミングじゃないのかもしれないですしね。

伝え続けるだけ不毛ってもんです!

 

だけどこの方の場合は、

「どうも本気でわからないんだな??」

というのがちゃんと伝わってて。

 

もともと、引っ込み思案というか、人とのコミュニケーションが苦手な方は、やっぱり、

自分とのコミュニケーションもとっても苦手というか、

積み重ねてきてるものがほとんどなかったりして、

ゆえに、たとえば10人中9人には伝わりそうなことでも、

なかなか伝わらないってことが、やっぱり、あるなって思うんです。
(そして積み重ねの差なので、わからない=劣ってるってことじゃないよ!)

 

そのときはやっぱり、仕方なくて。

 

仕方ないというのは、本人に

「なんでそんなこともわからないの?!」って責め立てたところで、

本当にわからないんだから、仕方ない。

 

そして、少なくとも「わかりたい」と思って、

一所懸命がんばろう、受け取ろう、としてくれている姿勢は伝わるんです。

 

だったら、こっちが諦めたらダメだ、って思うんです。

 

その人本人が、自分を諦めちゃったり、誤魔化しちゃったり、逃げちゃおうとするのなら、

それはわたしがどうがんばっても仕方ないことで、どうしようもない。

 

だけど、その人自身が、別に逃げるでも、誤摩化すでもなく、

自分を諦めず、わかりたい、とついてきてくれるのなら、

 

こっちは、いつか伝わることを信じて、

 

こうしたら伝わるかな、ああしたら伝わるかな、

こんなたとえで言ってみようかな、

こんな角度から伝えてみようかな、って

 

何度も何度も一所懸命考えてトライすることを、

諦めちゃいけないと思うんです。

 

だって、昨日までのたとえば十手では伝わらなかった、という結果があったとしても、

 

あともう一手、違う手を出したら、明日は

「伝わった!」っていう未来があるかもしれないと思うから。

 

十手もやっても伝わらないと、

やっぱり、落ち込みたくなる。

 

もう、諦めても良いよね、これだけやっても伝わらなかったんだし、と、

相手のせいにして、逃げちゃうことも、許される気もする。

 

だけどやっぱり、もしかしたら、

明日、また別の一手を打ったら、

今度こそ、伝わるかもしれない。って

 

その未来を諦めてしまうことのほうが、嫌なんですね。

 

これは、ずっとまえからそうだったわけじゃなくって、

こんな記事を昨日書いたけれど、

santasantasan.hatenablog.com

 

これまでのわたしは、やっぱり、どこかで傷つくのを恐れて、

「全力で伝える」ということを避けてきていて。

昨日書いたとおり、相手に合わせて、相手の求める範囲内でやってきた。

 

それはやっぱり、想いを込めて全力で伝えて、それを受け取ってもらえなかったり、

それを「暑苦しい」とか「そこまで求めてないし(そこまで見たくないし)」とかって捉えられて、人が離れていったら、

すごく悲しいから。

 

だからきっと、

100気付いても、半分の50くらいしか言わない。とか、

求められることだけに答えていくとか、

そういう一歩距離をあえて置く姿勢を取っていて。

 

でも、自分が自分を守るために、そういう姿勢を選択したのにも関わらず、

それで、そういう自分でお客さんに接する選択をしたのにも関わらず、

 

最終的には、やっぱり、

見えたものを放っておけなくて、

随分時間が経ってから、

そしてやっぱり、まだ自分が、もしものときに傷つきたくないから、

伝わってほしいんだか伝わってほしくないんだかわかんないような回りくどさで、

中途半端にジワジワと伝えていくようなスタンスを取ってしまって。

 

結果として、

自分と向き合うことから、

その人たちが、逃げられちゃう、誤魔化しちゃう、っていう結果だけが残って。

 

そのとき、やっぱり、すごく傷ついた。

 

でも、やっぱり、そんな後味の悪さを”わたしの人生”に残す結果を招いたのは、

自分のスタンスに肚を決められず、

全部を中途半端にした、わたし自身だった。

 

もし、たとえ嫌われること、人が離れていくことが怖くても、

それでも最初から、ストレートに、

「わたしから見え、感じたことは、全て伝える」ことに徹していられたら。

 

変な遠慮や、変な回りくどさをせず、

まっすぐに

「それ、自分を誤魔化してない??」って伝える勇気がわたしにあったなら。

 

そこに肚をくくれていたら。

 

そしたら、もしかしたら、

違う未来があったかもしれない。

 

そしてもし、未来(結果)は何一つ変わらなくて、

やっぱり、どんなにわたしが肚をくくって勇気を出して、がんばって伝えたとしても、

結果として、やっぱり、

その人たちが逃げちゃったり、誤魔化しちゃったりすることに

なんのかわりもなかったとしても。

 

それでもきっと、

わたし自身の、納得感が違ったんじゃないか。

 

”悲しいな。”

”結局逃げちゃうのなら、あんなに一所懸命伝えるんじゃなかったな。”

 

 

そんな苦しさが伴ったとしても、それでも、

後悔はしなかったんじゃないか、と。

 

 

…結局ですね、

本当はわかっているのです。

誰しも、自分は自分しか変えられない。だからこそ、

わたしが何をしたところで、自分から逃げちゃおうとか、誤魔化しちゃおうとか、

そういう人自身をわたしが変えることはできないんだってことを。

 

わたしも確かに、誰かによって変えてもらったのではなく、

わたしがわたし自身と、自分の意志で向き合ってきたからこそ、今があるから。

 

他人を変えることはできない。

これはきっと、間違いないのです。

 

でも、一方で、矛盾しているかもしれないけれど、

 

他人を変えることはできないけれど、

そのきっかけになることはできるかも。と。

 

なぜならわたしも、

今のわたしがあるのは、わたし自身の選択ではありながらも、

一方で、

いろんな人の存在や言葉に支えられてきたからだから。

 

あの人とあのタイミングの、あの出逢いが無かったら。

あの人のあのタイミングの、あの言葉が無かったら。

 

今のわたしはいないな。

 

そんな風に思うことが、山ほどある。

 

だったら、わたしも、

わたしと出逢ってくれた誰かにとっての”その人”になりたい。

 

わたしの力で変えることはできなくても、

せめてきっかけや、支えや、ヒントにはなりたい。

 

そうして、それはもちろん、

相手にその気が無ければできないことだとうけとめた上で、でも、

 

そう判断してしまう前に、

ギリギリのところまで、

「でもわたしにもできることはないかな?」って考え続けたい。

 

むしろ、相手からわたしの元を「もー嫌です!!もう、見たくない!!逃げる!!」って

そんなことわざわざ言ってから去る人もそうそういないでしょうけれども。笑

相手がわたしの元を去ったら、そのときに、やっと諦める!!くらいの勢いで!(苦笑)

 

それは、きっとそうなったときは、すごく

やっぱり傷つくと思うんですけどね。

 

傷つくのはやっぱり嫌だけど、でも、

自分から諦めてしまって、自分が中半端で、

「もしかしたらこうしていたら違ってたかもしれない」って後悔するよりも、

ずっと、ずっと、

その「嫌」のほうがマシだなと。

 

やっとそこに肚が決まったんです。

 

だから、「集中講座をやろう」って思えた。

 

santasantasan.hatenablog.com

 

この半年間、伊豆に越してきてからずっと、決められなかったこと。

お客さんとの距離感。

どこまで伝えていくか。

傷つくことがあっても良い??

そんなことに、自分なりの答えがやっと出せたから。

 

全力で人と向き合うことによって、

拒絶されて、傷つくかもしれないことに怖さがなくなったわけでも、

それを100%避けられると思えるようになったわけでもなく、

ただ、

傷つくかもしれない可能性へのこわさよりも、

また一人、出逢ってくださる誰かが、

その人らしく、のびのびと生きられるようになる喜びを一緒に感じたい気持ちのほうが

大きいなって、自分の中をやっと確認できたから。

 

今日の嬉しかったことっていうのも、そのことなんですよね。

話長くなっちゃったけど(笑)、

ずーっとずーっと伝わらなかった

「自分を疑う目線を持つということ」が、今日、

一年かけてやっと、

そのコミュニティのメンバーさんに伝わったのです!!

 

ちゃんと今日、

「自分の責任だった」ということに、

彼女が自分で気付けるようになったんです。

 

本当に、ものすごく、嬉しかった!!!

(たぶん本人よりも、わたしのが喜んでる!!笑

だって、その姿勢が身につけば、人生なんてあっという間に変わることを誰よりも知っているのはわたしですもん^^)

 

それは、一年間かけてやっと伝わったよ!!!っていうことじゃなくて、

一年間かかったけど、でも、その間、

いつか伝わることを諦めないで伝え続けて本当に良かった!!!っていう喜び。

 

そしてそのことはすっごく喜びなのだけれど、

でも同時に、

「わたしから見て、その人自身から逃げてしまった人」を思い出しては

やっぱりちょっと胸が痛む。

 

あの人にも、もしこれくらい伝え続けていたら、違ったかもしれないな。と思うから。

 

そのちょっとの後悔は、痛くないわけじゃないんですけど、でも、

「わたしは悪くなかった」ってスッキリしたいわけじゃないし、

時間は戻せないから、そのぶん、

今目の前にいてくれてる人、

これから出逢ってくれる人に、気持ちを懸けていこうと思えるんだと思う。

 

「全て伝えていく」「本気でいつも向き合っていく」!

…そう肚をくくって、

集中講座の呼びかけも開始して、

もうここに踏ん切りつけて、進んでいたつもりだったけど、

でもやっと、この今日の記事書いて、

やっとほんとの意味で、過去の後悔に

ひとつの気持ちの区切りをつけられたのかな、と思います。

 

ただのオンナとして、ただのわたしの望む、ただ生きていきたい道を選んで、生きていく^^

わたしはますます、ここに進んでいこうと思う!

 

わたしもそうありたい!という方、

集中講座にてお待ちしています!❤

 

<募集中です◎>

santasantasan.hatenablog.com