昨日の記事の続きです◎
よくセッションをしていたときに聞かれることのあった、
「わたしも、彼氏と結婚したいのにできなくて、ずっと平行線状態で、
でもブログを読んでいたら真穂さんもまったく同じような状態だったのに、
どうして結婚できたんですか?(どうやって彼の気持ちを変えたんですか?)」
みたいなことに対しての、
今わたしが思うこと、です。
※昨日の記事はこちらからどうぞです^^
↓
振り返ってみると、わたしは、たぶん、
【どうしても結婚がしたかった】わけじゃないんだと思うんですね。
そうじゃなくて、
【ジョーさんとずっと一緒にいたかった】、これがわたしの願いだったと思います。
でも、じゃあ、なんで、
苦しくっても、何度言い合いになっても、
【結婚】というかたちを諦めいで何度もジョーさんと話をしようとがんばっていたのかというと、それは、
なんとゆうのでしょうか、、、
ジョーさんにやっぱり、【ジョーさん自身から逃げてほしくない】っていう気持ちがあったからな気がします。
というのは、たぶんジョーさんも、
家庭を持ちたいってほんとは強く思ってたと思うのです。
でも、ジョーさん自身が、自分に対して、
その自信がなかなか持てなかったんじゃないかな〜?と、見ていて感じたということです。
でもわたしはなんか、当たり前に、
【あんたそんなとこ越えられない男じゃないでしょ!?】
みたいな気持ちがあって、
ジョーさんは「自分はここをなかなか越えられない」って自分に思っていたんだろうけど、わたしは、
「ジョーさんがこんなとこ越えられないわけないじゃん」って
それだけはめっさ自信があったのです。
それで、ジョーさん自身も、やっぱり、越えたいと思っていたと、そう感じたから。
だからなんとゆうか、
自分が結婚したくてしたくて、その願いをとにかく叶えたかったから…っていうよりも、
ジョーさん自身も越えたいと思ってるジョーさん自身を、越えて欲しい、って思ってたかもです。
(だって、越えられるに決まってんだし!みたいなよくわからない自信あったし。笑)
その境界線の象徴みたいになってたのが、「結婚」だった…って感じのイメージかなあ、と。。。
たぶん、
「自分がこれを叶えたい!(=結婚したい!)」だけだったら、
あんなにぶつかるのも、話し合うのも、待つのも、
耐えられなかったと思うのですよー^^;
つらすぎて^^;
だからきっと、自分があそこまで当時、がんばりきれたのは、
そういう理由だったかなって。
一言で言うと、
ちゃんと、ジョーさんの向かいたい方向と、わたしが向かいたい方向は
最初から一致してた、っていうこと。
ただ、いくら向かいたい方向(叶えたい願い)があったとしても、
誰もがそれを最初から、「できる!」って自信満々に思えているわけじゃないことも、ありますよね。
だから、そこ、
「自分にはできないんじゃないか…」っていうジョーさんの背中を、
「そんなことないよ!あんたならできるよ!ほんとはそうしたいんでしょ!?」っていう風な想いで背中を半ばかなり乱暴にガンガン押して行ってただけなんじゃないかなー?と、
今はそう思っています◎ 笑
そしてそんなことを言ってしまったら、
「なんだー!自分を大事に生きていたら、魔法みたいなことが起こって、
彼が勝手にその気になってくれるわけじゃないのかあ」
って、がっかりしてしまった人もいるかもしれないんですけど…^^;
確かに、
【一所懸命、何度も何度も話し合った】
そしてその話し合いのたびに、
【ジョーさんの気持ちやその奥の迷いとか不安も知っていって、自分のコミュニケーションの取り方の問題点も知っていった】
そして
【その反省を活かしてまた再トライして話し合った】
↑
この地味な一歩一歩は、「そこまでやったらそりゃ、誰でも上手くいくわ!」って思われるかもしれないんですけど…
でも、でもですね!
やっぱり、振り返ると、
「もうムリだー!」ってなりそうになるたびに、
誰かが助けてくれたり、
ジョーさんの気持ちも一歩動くような、何かが起きたり。
そういう、
「やっぱりどこかで何か、見えない手がいつも、助けを差し伸べてくれてた」
っていう感じはあるんです。
そして、だから、
そんな完璧なタイミングでいつも、
なんらかの応援や支えや助けがあったからこそ、
だから今、こうして一緒に楽しく過ごせてると思うんですよね。
そういうおかげさまっていうのも、たくさんあった。
これは、わたしは、魔法みたいなことだなあって、やっぱり思っているんです。
そこ、
なんでいつも、そういう”流れ”みたいなものが味方してくれたのかなーって思ったら、
それってやっぱり、
わたしたちが一緒になることが、家族や他の人もしあわせにしたり、
繁栄したりする選択だったからなのかな?と思うのです。
事実、わたしは、
わたしだけじゃなくってわたしの家族(両親や姉弟)も、その仲も、
ジョーさんの存在でけっこう救われてるなーって、思っていてですね。
すごく、ジョーさんが家族に加わったことで(あ、婿養子ってことじゃないです。笑)、
うちの家族は間違いなく、かつてより調和したな〜って、思うんです。
たとえばわたしの弟も、ジョーさんのことすごく慕っていて、
家族に言えないようなことも話せたりしてるみたいだし。
父母も、3きょうだいの中で一番問題児だったわたしが嫁に行けて、
しあわせそうで、心底ホッとしてるようですし。笑
死んだおじいちゃんおばあちゃんも、
ジョーさんみたいな人だからこそ、
伊豆に越してこの家を活かすことができて喜んでいるだろうし、
将来がどーのとか、都会を離れたらどーのとかいう常識が強い人は、こんな暮らしの切り替え方たぶんできないですよね。。。^^;
そしてわたしが自分で言うのは手前味噌すぎて照れてしまうけれど、
ジョーさんの家族も、
わたしと出逢ってジョーさんが変わった!って
すごく喜んでくれているのですね*^^*
そしてやっぱり、間にお嫁さん(わたし)がいなかったら、ジョーさんも、
家族と会ったり交流したりするきっかけって、
いくら気持ちがあってもなかなか持てなかったりすると思うんですよね。
先日ジョーさんのお母さんが持たせてくれたお菓子^^
なぜかいつも、会うときはカルディの袋いっぱいにお菓子とか色々詰めて持たせてくれます^^
福袋のようで楽しい^^
(そしてなぜかきびだんご…笑 お義母さんのチョイスはいつも楽しいです。笑)
たぶん、お互いの存在で、調和が拡大してるんだと思うのです。
それは、繁栄といえるのだと思う。
そしてだから、一緒になることを応援されたと感じるのです。
それは、宇宙の中で、大自然の中で、
生き物や植物っていう”個”の視点で見たときには、
いろんな厳しいことや淘汰があったとしても、
それでも、全体としては常に、必ず、
調和や繁栄に向かっていくことが自然であるのと同じように。
わたしたち人間も、この自然の中で生かされてる、
同じルール(理・ことわり)の中で生きている以上、
全体の調和とか、繁栄とかっていう、その流れに沿えば、
きっと個の望みも自然に整い、かたちになってくのだと。
そしてそれは、
「できるだけラクして良いことだけ得たい」
とか、
「誰かに自慢できる、より優越感を持てる何かが欲しい」
とか、
「自分は変わりたくないから、誰かに変わって欲しい」
とか、、、、
そういう気持ちからくる望みだったら、ちょっと…
自然の流れに沿うそれ(望み)とは違うよね?っていうのは、
誰でもきっと、ほんとうは、感覚でわかりますよね^^
わたしにとっての今のしあわせもまた、
その流れに沿っていったことの結果じゃないかな。と。
それは、必ず自分にとっても、笑顔でいられることに繋がることだし。
誰かを笑顔にすることにも繋がることだし。
もしくは、見えない何かに良い影響を与えていることかもしれないし。
”三方良し”なんて言ったりもするけど、きっとそんなもんじゃなく、
”全方位良し”なのだと思うのです◎
伊豆の家に暮らせるようになったことや、
それに伴うお金が整ったことも、
やっぱり同じ原理かなと思うんです。
そうしてわたしたちのこれからがどうなっていくのかは、わたしたち自身もまったくわからないけれど、
でも今までもどんなときも、やっぱり、
振り返れば必ず応援され助けられてきたと感じるから、
自分の思うとおりに叶うとか、叶わないとか、
そういうところに固執してしまって、注目してしまうのではなくって、
おっきな流れの中に、生きてること、
ちゃんと生かされてきたし、今も生かされてること、
そのことがいつも頭の片隅にあって、
「だから大丈夫なんだ〜」って
安心して、信頼して、今を笑って生きていきたい。
そんな気持ちのほうが、今は大きいです◎
長くなってしまいましたが、何か参考になることがあれば嬉しいです^^
具体的なパートナーシップのことなどは、過去記事にもその都度書いてきたので、
よければ探してみて読んでみてくださいね◎
それでは、また◎