「すみません、ただのオンナに戻ります」。

オンナはみんな、「ただ、オンナであるだけでいい」。“がんばる良い子な生き方”を止めて、自分を大切に生きていく軌跡☆

わたしが伝えたい悦び。【初心にかえるということ。】

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今日も桜を見に、ふらふらとお散歩しておりました^^

写真は旦那のジョーさんが撮ってくれました。

素敵でしょう〜^^

ジョーさんらしい、優しい写真です^^

 

最近もっぱら、日中は同じところを旦那さんと毎日散歩です。

ヒマか?(老人か?)と突っ込まれそうですが、わたしも自分に突っ込んでます^^;

時間帯や、風の吹くとき静かなときなどで

同じ場所の同じ桜でも全然違うなあと思うんです。

 

とっても美しくって、ずっと見ていて飽きないです。

なんでもない時間なんですけど、しあわせな時間だなあと思います^^

 

そんなほっこりした気持ちで自宅に帰ってきたら、

スクール一期生がFacebookのフォローページに

こんな素敵な投稿をしてくれていました。

 

先日の、

「生かされていることの意味を、自分の小さな脳みそでははかれない」の言葉から

返してくれたコメントです。 

 

先日は返信ありがとうございました。

真穂さんの投稿にあったように、

変えられないものまでも変えられると思い込んで(神の領域に足を踏み入れて)、

それを前提として生きてしまってきたのだなと思い知らされています。

本当に傲慢です。

神様が、お父さんとお母さんが、

それ以前に先祖のみなさんがいのちを繋いで、私をこの世に登場させてくれたのに、

今までずっと自分を見ないでそっぽを向いて、

それがどれだけ自分を、大事な人を傷つけてきたか...

 

それでも生かされていて、まだまだ生かそうとしてくれていて、

私には到底計り知れないそれらを受け取りたいと思いました。

 

生きるしかできないです。

 

思い切り自分のいのちを生きたいです。

 

ずっとそう願っていました。

 

たぶん一番の願いです。

 

実際には申し訳なくていたたまれなくて、逃げたい、

死にたいと思うこともあるだろうと思います。

 

でも、そんな自分でも生きて、与えられるものを素直に受け取りたいです。

 

自分を大事にしたくて、真穂さんのところへ行きました。

今までは大事にしたい自分が全然分かっていなかったけど、今はよく見えます。

 

もっと自分のことを知りたいです。

 

家族とも、職場でも、友人にも、

ほんの少しずつですが今まで隠してきた自分をオープンにしていたら

(というか自然と溢れてきた)、何だか生きやすいです。

 

“ちょうど良い感じ”(←何だそれ!)を心がけて生きてきたのですが、

やり過ぎてもやりっ放しで、逆に何もできなくても心の中で

「ごめんなさい!!ありがとう!!」で過ぎていっています。

 

感情の起伏が大きくなった気がします。

ムカつくこともあります、でも蓋をしないで、無理もしません。

でも夜にノートを書くと、綺麗事でなく、みんな優しくて、

たくさん与えられていると腑に落ちるんです。

 

この生き方で進んでいきます(^^)

 

なんだか読んでて本当に涙が出てしまいました。

すごく美しいなあと思って。

いのちが輝いているなあと思って。

 

 

わたしがこのブログを通じて人と出会って、

自分を大切にすることや、

ただのオンナに戻るということを伝えるようになって、

ちょうど丸一年ほど経ちます。

 

そうしてセッション(※当時はスクールではなく個人セッションでした)を受けてくれた方の中には、

パートナーができたり、結婚が決まったり、

職場の方との最悪な人間関係がガラリと変わったり、

 

そういうわかりやすい結果があっさりと出て

上手く波に乗れる人もとても多くて、

そのことが、また

「何もできないただのオンナな自分を受け入れて大切にして生きていく」ということに

他の方が踏み出す勇気を与えてくれたとも思っています。

 

それはそれでとても素晴らしいことで、ただ問題はわたしが、特に自分自身に対して、

そういった

【わかりやすい外側の変化=生き方を変えることで、何の得を得られたか】を

ものすごく重視し、追い求めていたこと。そのズレに、

最近になって気づきました。

 

 

・結婚を渋っていた彼と結婚ができたこと、

・旦那さんが無名から出版できたこと、

・そこから思いもよらないかたちで仕事が発展したこと、

・自営として成功していること、

・収入が何倍にも増えたこと、

・それに伴って、普通の会社員であった頃には体験できないことができるようになったこと、

・そういった生活を送れるようになったこと、

・家が手に入ったこと、

・東京を離れて夫婦で自由な生活が送れること…

 

もちろん、それらが得られる前提は

生き方、在り方を変えた結果であることは揺るぎないけれど、

 

でも、そんな風に、

 

どれだけ良いこと(メリット)を得られたか、

どれだけ、人と違うものを得られたか、

それをどれだけ、人に見せつけられるか、

 

気づけばそういうものを、

幸せの指標にしていた気がします。

 

成功の指標にしていた気がします。

 

そして、あくまで「心の幸せ」の副産物であったそれらが、

【必ず有る】ことが価値だと勘違いして

 

それをもっと、もっとと追い求めていました。

 

気づけば、ものすごく、ズレていた自分がそこにいました。

 

 

本当は、あの頃、

人生の何もかもが笑えるほどに上手くいかなくて、

生きづらくて、

自分がこんな自分で生まれてきたことの意味も価値も、見いだせなくて、

 

神様がもしいるなら、

なんでこんなわたしを作ったんだろう?と思った。

 

わたしが、そのままの自分を偽って、

取り繕って、

人や社会に求められる【何か】にならなくちゃいけないのなら、

わたしの個性は、このわたしは、

なんのために作られたのだろう?と

本気で思ってた。

 

意味なんて無い、っていう人もいると思うけれど、わたしは、

そこに意味があると信じたい、と思った。

 

意味があるからこの自分で生まれてきて、

今日まで生かされているんだと信じたい、と思った。

 

だったら、それが本当なのか?は

その自分をまずは自分が、

そのまんまで生きてみないことにはわからない。

 

こんな自分でただ、存在していることを

誰かに許されたくて、

許されるだけでなく、愛されたくて、

必要ともされたくて、

 

だからまずは自分が自分を愛することを、始めようと思った。

そのまんまの、どうしようもない自分で。

 

で、そのことに、わたし自身がものすごく救われて、

安心できて、

それで十分、とっても幸せで。

 

そうしてその先に、

尊敬する大好きな人と一緒に生きていけることが、後からくっついてきて、

 

もう、それだけで

宝くじ1等並の強運の持ち主だと、自分を思った。

(本当です)

 

この人と生きていける毎日で

人生の目的、達成したわ。と

本当に思った。

 

だけど大好きなその人も、

わたしとおんなじ【あぶれ者】で、

【フツー】に考えたら

わたしたちふたりだけでは、

そのまんまのわたしたちでは、

補い合ってもなお、この社会では生きていけないなあと思った。

 

困った。

 

困って、でも、

やれるとこまで【そのまんまのわたしたち】で生きてみようと思って、

やってみた。

※旦那はちょっと良い意味でcrazyなので、迷ってさえいなかったようですが。

 

そしたらふたりで補い合え無いことを、今度は

たくさんの人が助けてくれました。

 

目に見えない運も縁も、

いつも味方して助けてくれました。

 

結果、

社会的にはとても弱い、足りないわたしたちでも

自分たちを見失わずに、そのままで、

幸せに生きることができています。

 

ものすごい奇跡だ!と思います。

 

だからそれを、わたしは伝えたいと思った。

 

伝えたいと思って、伝えたら、

それぞれの人がそれぞれに「奇跡だ!ってことを受け取れて、

今に至ります。

※それについては「お客様の声」のカテゴリ記事などをご参照ください

 

 

そしてこの仕事で素敵なお客さんたちと出逢えて、

このまんまのただのオンナなわたしで

わずかでもその人たちの人生に良い影響を与えられること、必要としてもらえること、

いのちの輝く本当に素晴らしい姿を見せてもらえることさえ、

「こいつ、このまま幸せいっぱいで人生の目的達成したとか言ってるから、

ほうっておくと早くボケるに違いない。」と

心配した神様からのギフトだったのかもと今は思います。

 

「オマエ、このままだとはようボケるから、

たまには仕事しはりなさい。」と。

 

やっぱり、ものすごく、全部、

与えてもらっていたことしか無いんだなあと。

 

なのにわたし、いつのまにか

目指してるところがズレてたわたし。

 

もう、全部叶っていて、

生かされていて、

それで幸せだから、

展開されていた後付の「それら」だったのに。

 

とんだ驕りで勘違いは、わたしそのものだったなと。

 

【わたしがあのとき、たしかに感じた悦びは、

だからこそ、人に伝えたいと思った悦びは、

そんな外側の何では無かった】。

 

 

 

なので本質に戻ろうと思いました。

 

この自分で生まれてきてよかったと、

一人ひとりが自分を生きることに希望が持てること。

 

優しい気持ちになれること。

 

そんな自分が好きになれること。

 

世界が優しいって実感できること。

 

そのことで、自分が自分を否定せずに、

穏やかで安心して、そのままの自分で世界に心を開いて生きていけるようになること。

 

心が、生き方が、在り方が

【そこ】に戻ること。

 

そこを目指していこうと思いました。

 

それはけっして派手ではなくて、

地味で、

その価値は人に伝わりにくいかもしれない。

そんなのだったらツマラナイからいいわーって人もいるかもしれない。

 

かもしれないけれど、

 

心がそこに戻らないことには

外側の何やらも

ついてくることってやっぱりなくて。

 

そうしてそのことに気づいて、「急がばまわれ」で、

コツコツと自分を大切に生きることに進んでくれた方、

そうしてその小さな悦びを一つずつじっくりと噛みしめることができる人ほど

実際に、

ゆったりとでも現実の変化も享受していけていると思うから。

 

人生は長いのだから、

経済成長でたとえるならば、

いっときのバブルではダメなのだ。

ゆっくりと、でも確実な経済成長が、

必ず人生の基盤になっていって、

いつか花を咲かせるということ。

 

 

その上で、

好きなことを仕事にしたいとか、

恋愛を良い方向にいかせたいとか、

そうして人とのつながり方を、

命の輝かせ方を、生かし方を

より多く望むことは、大歓迎なのです^^

 

スクールは1ヶ月しかフォロー期間が無いけれど、

結婚式を終えた頃、

音声講読の卒業生向けに

フォローページを作っておこうと今、策を練っています。

(策ってほどの何かがあるわけでもない、ただのFacebookのグループページですが^^;)

 

何かあったときに、

ちょっと聞いてもらえる、

ちょっとヒントにしてもらえる、

そういう場でありたい。(必要としてもらえるなら。)

 

わたしは教会で結婚式を挙げるけれど、きっと牧師さんは、

その人の人生に近く密接してずっと関わるわけではない。

 

だけど、何かあったときに、教会に行けば、

心の拠り所として、そこに行けば、

牧師さんに会える。

そうして牧師さんを通じて神様に出逢えて、守られてること、完璧でしかないことをきっと、

思い出せる。

 

「わたし」は固定の場所にはいないし、奉仕なんてものはできないけれど、

(伊豆まできてもらうのもちょっとね。。。^^;)

そこにただいつでも居ます、と

そういうことで、誰かの心の拠り所になれたらいいなと。

何か迷った時に、戻ってこれる

そういうきっかけに使ってもらえる自分であったらいいなと。

 

今はそんなことを思っています。

 

そうしてまた、関わってくれた一人ひとりが

誰かの希望になってくれたらいいなとも思っていますが、

長くなったのでこの話はまた今度^^

 

今日は、最近の気持ちの変化をまた少し

書いてみました^^

 

読んでくださり感謝を込めて♪

明日も良い一日をお過ごしください☆